2012年7月13日金曜日

民間連携ボランティア制度

以下JICAのプレスリリースから抜粋 http://www.jica.go.jp/press/2012/20120710_01.html


国際協力機構(JICA)は、民間企業、特に中小企業の皆様に社員の育成の場として青年海外協力隊をご活用いただくため、民間連携ボランティア制度を創設しました。

新興国への事業展開、開発途上国を対象としたBOPビジネスへの関心の高まりなど、企業活動がグローバル化するなか、グローバルな視野や素養を備えた人材の確保も喫緊の課題となっています。このような背景のもと、創設された民間連携ボランティア制度は、民間企業と連携し、社員の方をJICAの青年海外協力隊員として開発途上国に派遣し、企業のグローバル人材の育成や海外事業展開にも貢献するものです。

民間連携ボランティア制度は、従来の青年海外協力隊と異なり、民間企業のご要望に応じ、派遣国、職種、派遣期間等を相談しながら決定していきます(オーダーメイド派遣制度)。また、随時応募を受け付けています。

同制度のもとで派遣される青年海外協力隊員は、公的機関に配属され、所属機関の一員として上司や同僚と相談しながら活動していきます。現地でのボランティア活動に従事することにより、開発途上国の課題の解決に貢献するとともに、語学のみならず、ビジネスに不可欠な高度なコミュニケーション能力、異文化適応能力、グローバルな視野、創意工夫力、問題解決力、交渉力などが身につき、帰国後に企業活動に還元されることが期待されます。

今後、JICAは民間連携ボランティア制度に関する民間企業向け説明会を、2012年7月11日の東京、18日の広島をはじめ、全国各地で開催していく予定です。



JOCVは一般の民間企業の就職になかなか結び付かない、敬遠される傾向にあると派遣前は思っていたけど、今は日本の企業がグローバル化に向けてグローバルな人材を必要としていて、JOCVの活動にも目を向けてくれていると思うと本当に嬉しい。

ただ、民間との連携において、オーダーメイド派遣制度って資金補助とかは民間が出す形になるのか?それとも税金を使うのか?もし、税金を使うのであれば民間企業の要望に応じたボランティア派遣ってどうなの?って思ってしまう所はある。

とはいえ、現職参加が難しくてなかなかJICAボランティアとして海外に行きたいけど行けないっていう人は今でも多いみたいだし(だから辞職してくる人が多い)、民間との連携でよりボランティアに行きやすくなったり、要請の枠が増えたり、資金面で補助が出るのであれば、良い傾向だと思う。

実際に、KOICA(韓国のボランティア)は国の税金だけではなく、民間のサポートもかなり入っているみたいで、KOICAグッズ(民間の支援によって作成されたTシャツ、帽子、バッグ等)を身にまとっている姿をよく拝見する。帰国後の就職もKOICAでのボランティア経験はかなり優遇されるみたいで、話を聞いているとやっぱり日本と違うんだなと思ってしまったし、羨ましいと思った。

まっでも、少しずつ日本の民間企業もグローバル化に向けてJOCVに対して見方が変わってきているし、後は自分が就職したいと思っている企業で活動経験がどう貢献できるか、逆算して計画立てて考えていく事が大事。



毎日新聞、2012年7月13日 東京朝刊 金言より抜粋
http://mainichi.jp/opinion/news/20120713ddm003070069000c.html


<kin−gon>
 グローバル人材の話を以前、書いたが(6月29日)、日本の開発援助機関である国際協力機構(JICA、田中明彦理事長)は、途上国に派遣している青年海外協力隊に、人材育成の一環で企業の社員を受け入れる。この「民間連携ボランティア制度」の創設説明会が11日、東京都内で行われた。
 説明会にはメーカーや情報通信、商社など約60社の経営者、人事担当者が参加。「制度」の説明の後、各企業と個別相談会がもたれた。若手社員の育成に協力隊を活用したいと考えている企業が多く、派遣する社員の条件や派遣期間などに質問が集中した。
 海外ボランティアの青年海外協力隊は約2000人。開発途上国の人々に、農業、水産、教育、環境など多分野にわたる技術、知識を伝える。派遣期間は2年。今回、企業に開放するのは、協力隊に対する関心の高まりがある。
 「厳しい環境でやってきた協力隊員は有力な人材」と見る企業からの採用打診は増えていて、09年に304件だったのが昨年は717件。大企業などは留学制度があるにもかかわらず、社員育成に協力隊を利用できないかとの考えをJICAに伝えていた。「若い社員が修羅場を経験し、苦労する機会を作りたい」「挫折や課題に直面した時、折れずに乗り切る力をつけさせたい」との理由だ。

最後の部分、「若い社員が修羅場を経験し、苦労する機会を作りたい」、「挫折や課題に直面した時、折れずに乗り切る力をつけさせたい」に関して、実際、確かに生活面においては精神的に辛い事(インフラ不備:停電、断水、雨漏り、価値観の違い、言語等)はあるけど、全て自己判断に委ねられているし、中には挫折や課題に直面できずにそのまま蔑に過ごしてしまう隊員だっている。
だから、2年間のJOCVとしての経験者(特に苦労面)が必ずしも有力な人材になるとは思えないけど、結局JOCV次第だという事。
いかに自分自身を奮い立たせて自分の弱さと向き合い、解決していくかが本当に重要になってくる。
実際に私はJOCVとしてセネガルに来て、かなり自分の弱さに直面する機会がある。特に勉強面含め人と共有して何かをやっていく事が今まで多かったから今自分自身でやり遂げていく事に困難を感じている。その困難とは主に活動面でいえば、「自分のやり方が正しいのか?」「これで上手くいくのか?」「このまま進んでいっていいのか?」といった具合。人と共有してやっていった時は意見交換できる分、自分の考えが相手にどう受け取られるか聞くことができ、客観的に判断できるけど、多分一人で活動している時は自分のやっている事に100%の自信がもてていないんだと思う。ただ、私はできると思ってやっている所、できなかったら嫌だと思ってしまう部分から不安に感じているんだろうけど、そこを打開すべく解決策を考えなければ本当の意味で「タフ」にはなれないし、自分の弱さとも結局向き合えないんだろうなと思う。
辛い事も確かに多い隊員生活、でも、それ以上に自分が人間的にも精神的にもタフになって成長したいと思っているから今は修行だと思って自分と向き合っていくしかない。頑張ろう。

2012年7月2日月曜日

セネガルに来てから約半年経過・・・・・・

7月11日でセネガルに来てちょうど半年が経つ。活動も生活もまだまだだけど、先を見据えられる(正しくは先を見据えようとする姿勢)くらいの心の余裕が出てきた。

活動も少しずつではあるけど、今の所3つ軸において考えているうち1つの活動(ジャパンアートマイルのプロジェクト)はなんとか形になりそうな見通しが立ってきている(問題や懸念は山積みだが・・・・。)今日本の学校に送るビデオ(セネガルの学校、文化、生活紹介)の制作を進めていて、作業がなかなか大変だけど、やりがいがあって面白い!

ただ、半年経った今、まだ2年後の就職活動や今後のキャリアに向けてどういう方向性で活動を含め繋げていくのか、具体的に逆算して考えきれていない。

確かに今の段階で完璧な計画を立てるのは難しいけど、活動をやっていく中で、自分のモチベーションを維持する上でも「現地の人のため」というだけでは正直継続していくのは私は難しい。

そして、何より、色々振り返ったり、周りと比較して思った事は24年間(もうすぐ25年間になる)生きてきて、学部時代に英国留学して、就活辞めて教授のアシスタントとして働きながら大学院浪人して、大学院入って、JOCVとしてセネガルに来て、本当に自分がやりたいと思う事を優先してやってきた。

ここまできて就職で自分が納得いかない結果を出せない、出したくないという想いが最近強くなってきたと同時に自分でも気づかない所で多少の焦りを感じているんだなと思う。

今でも、就職氷河期と言われる時期に留学帰国者用でもある夏採用で就職決まっていたら今セネガルにいないんだろうなとふと思うし、普通に働いて結婚したいという気持ちは無きにしも非ず笑。

でも、今ある自分が自分であるわけで、今歩んでいる人生も自分で決めたものであって誰のものでもない。

そう思うと、これからの人生をどう切り開いていくかも結局自分次第なので、これから自身と向きあいながら2年後の進路、今後のキャリア、研究含め考えていきたい。

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上記に書いたものは本当に思うがままに書いてしまったけど、ここで書きたかった事は自分が赴任当初ぶつかった困難、辛さから半年間どうやって乗り越えてきたかという事。(こういう事は定期的に纏めておかないとすぐ忘れるし、いざES書く時に書けないため)

赴任当初、ぶつかった困難、辛かった事といえば、やはり住居整備に2ヶ月以上かかった事。

日本からセネガルに赴任して1ヶ月後は体も考え方もまだ日本にいた時の感覚のままで、何で電気と水の契約に1ヶ月以上もかかるのか、書類提出するだけなのに不備が出てきて次の日に持越しになるのか、網戸と鉄格子を明日設置してくれるって言ったのに次の日、約束の時間に来ないとか理解できず、ストレスが溜まっていた。

どうやって乗り越えてきたかというと、
①ほぼ毎日、大家さんの事務所に行き、直接話をするようにした(先輩隊員宅から事務所が近かったので、電話代を節約したかったという理由もあった笑)→頻繁に事務所に足を運んだ事で職員と話すようになり、少しずつ彼らの価値観の違いや文化について理解できるようになり、結果的には仲良くなった。

②待ち合わせの時間に来なかった時、次回会った時には必ず連絡先を聞くようにした→よって事前に予定を確認できるようになったし、相手に約束をこぎつけたり、来るように促したりできるようになった。

③同任地の先輩隊員、同期、日本にいる家族・友人等に話を聞いてもらい、気持ちの切り替えをするようにした。

④会話で必要とされるウォロフ語の単語をメモし、意図的に使用してい→これで少しずつ単語力がつく。

結論、コミュニケーションが大事。とは言っても赴任当初、仏語もウォロフ語もままならない状態でのコミュニケーションって自分の言いたい事も上手く伝わらないし、相手の言っている事もよく分からない。相手側も自分のウォロフ語が拙いから聞く耳持たなかったりするし、それで猶更ストレス、自己嫌悪に陥る。でも、そこで立ち止まっていては成長しないのだけれど、当初の自分は本当に物事を前向きに捉えたり、ポジティブに気持ちを切り替えて行動に移すまで随分と時間がかかったし、3月末にはインフルエンザにはなるし、本当に辛かった。

半年経って、セネガル人の事が分かってきて、自分なりに対応の仕方も掴めてきて、少しずつ信頼関係が構築できてきた。これはまだ客観的に見える「成果」までにはこぎつけられないけど、半年経った中で活動と生活の土台作りができたという意味では自分の中で「成果」とみなしてよいと思う。

隊員生活は誰にも何も言われないから国の税金使って2年間遊ぼうと思えば遊べてしまう。でも、それは2年間JOCVとしてここで過ごす意味合いも、今後の進路にも何も繋がってこないと自覚しているし、自分が納得いく2年間を過ごし、自分のやってきた活動にも自信が持てるようになるためにも定期的に振り返り、纏める作業、計画を立てる事を怠らずにやっていきたい。そういう地道な努力が結果的には自分の目指すもの、やりたいと思える仕事に就けると信じているし、最終的には自信に繋がるのだと思う。


現在活動している中学校4Fの生徒、Ba一家との写真。生活紹介で一家の様子をビデオ撮らせてもらった。お父さんが医者でフランス、オランダ、チェコ、アフリカ諸国にも行った事があり、日本に関してかなりの知識(日本の歴史、侍、福島の原発問題、本州、日本の技術発展等)をもっていたので、話を聞いていて楽しかった。そして、プル族の良さも再確認できてよかった(ちなみに私も一応セネ名がAwa SOWでプル族なのである) 

※名字がSOW、BA、KAはプル族

2012年6月28日木曜日

友達であり、家族ような存在

セネガルに来てからもうすぐ半年が経過する。

この半年間、住居整備に2ヶ月費やしたり、バイク試験2回も落ちたり、活動も思うように上手くいかなかったりと辛い事が多かったように感じる反面、人を見る目が養えたり(やはり人間なので、どんなに良い人でも裏がある、特に金銭面に関して)、少しずつ信頼関係が構築でき、自分のある意味「居場所」みたいなものが確保できるようになってきた。

それが友達のような存在であり、また家族のような存在にもなりつつある。

ADET(村落部中心に少額融資をしている銀行)で働くSali、ダカール出身

Saliが御世話になっている叔母の親戚の子

同様にSaliの御世話になっている叔母の親戚の子供達

最近懐いてくれるようになったMalik

最初は私に対して警戒心をもっていた子供達とも打ち解けられるようになった。

Saliによってイスラムのベール風に仕立てあげられました!

なぜかWest Coastの「W」のポーズ(Sali曰く)

自分にとって居心地の良い場所を見つける事って本当に大切だなと改めて感じた。その場所があるから落ち込んでも、辛くてもまた頑張ろうって思える。(もちろん日本の友人や家族にも多いに支えられている。)

上手くいかない事、予測できない事に対して落ち込むのではなく、その状況を楽しめるくらいの心持で日々過ごしていきたい。

2012年6月25日月曜日

優秀生徒表彰式@Melakh

6月22日に某国連職員さん宅での「福井の会」に行くためにダカール上京し、次の日(6月23日)にはMelakhの小学校での優秀生徒の表彰式に参加するため(表彰式参加に至るまでの経緯は5月25日のブログ参照)、ダーラに戻ってきた。

ダーラとダカールで往復バスでおよそ12時間の道のり。いくらフットワークが軽いからとはいえ、結構体力的にきつかったけど、両方無事参加でき、かなり充実した週末を過ごせたのでよかった。

以下、優秀生徒の表彰式の様子。

 クラスの成績優秀者に贈られる贈呈品、ノートとペン等の文房具類が大半

表彰式を見に来ている子供達の様子

 CGE代表者のスピーチ

 Melakhの幼稚園のクラス(なぜか全員がギフトをもらっている?)

 高校の英語教師、Mr Diop、Melakh出身

 私立中学で働くM. Ndiaye、私と一緒にMelakhまで来てくれた。

 ちゃっかり私も名前が呼ばれ贈呈式に参加させて頂きました。

 巡回校Thiameneの小学校で働く先生(1年生担当)

 同じくThiameneの仏語の先生



 Melakh校長、Sidy TallとM. Ndiaye 

ダカール出身Thiemaneの先生達と!

表彰式に参加して、CGEや校長による学校運営がしっかりしている事がよく分かる。ただ、生徒に贈るギフトは結構な費用であるが、その費用はどこからなのか、PAEFのTシャツ贈呈はイタリア援助団体のものなのか?(PAEFはイタリア援助団体がやっているプロジェクト)とりあえず、色々な疑問が尽きないのだが、ひと段落したらまとめて質問しにまたMelakhに訪問しようと思う。

このような貴重な場に参加させてもらえた事に本当に感謝。少しずつだけど、セネガル人にも名前を覚えてもらえるようになったし、後はバイクがきたら村の学校を本格的に巡回して、活動校決めたいと思う。

2012年6月21日木曜日

悔しさ

今日、3回目となるバイク試験の受験申請をするため、ルーガ(私の任地ダーラから車で約2時間)まで行ってきた。

今回、周りのセネガル人は何回くらい受けているのか気になったので、申請来る人に聞いてみると、初めて受ける人もいれば私同様3回目の人もいた。

とあるセネガル人(Ibrahima)に、何回目か聞こうとすると「ちょっと来い!」と言われたので、とりあえず行って話を聞くと

「受かりたかったらお金(賄賂)を払った方が良い。そしたら絶対受かる。もし払わなかったらずっと受け続けなければならないかもしれないよ!」と指摘を受けた。

その人は実は2回目の試験で受験段階で賄賂(2万CFA:日本円で約4千円)を支払ったとの事。

私が「受かりたいけど、賄賂はよくないでしょ??」と言うと、「これがセネガルだよ」と言われてしまった。

頭ではそういう社会の部分も理解しているし、仕方ない事は分かるんだけど、なんだかしっくりこないというか自分に納得できない。確かに今の語学力じゃ受かるまでに時間はかかるだろうし、活動するにはバイクが必要だからなんとしてでも受かりたい気持ちはあるんだけど、色々なもやもや葛藤でなんだか複雑な気持ちになった。

とりあえず、受験担当のMadameに金曜日に試験受けたい旨を伝えるが、月1でしか受けられないから7月6日に来いと言われた。この日はちょうど隊員総会でダカールに上京しているためルーガまで足を運ぶのは正直難しい(次の日にはバイク講習にも参加するため、またダカールまで戻らなければならない)。

結局、土下座までしても金曜日の試験は受けさせてもらえそうにないので、しぶしぶ7月に受ける事に終わったが、6日の試験を逃すと次20日に受けられるかも確定ではないので、またもやルーガまで無駄足を運ばなければならなくなる可能性が出てきてしまった。

とりあえずMadameに「9日に試験あるかどうか確認の電話をしてきなさい」と言われたが、2回目の試験後3日間立て続けに電話したけど、出てくれない挙句、切られたので信用できない。とあるセネガル人(Ibrahima)にその旨を伝えると、「Madameが電話してくれなかったら俺に電話してこい。俺からMadameに伝えるから」と言ってくれた。(なんていい奴)

とりあえず、7月6日に試験受けるかどうかの電話を入れる事、受けられなかった場合、9日に電話する事で話は片付いたが、ここに至るまで、散々、Madameにもとあるセネガル人(Ibrahima)にも

おまえは仏語もウォロフ語もできない。」、「これだから外国人の言っている事は分からない」と言われ悔しくて悔しくて涙が出てきた。

いくら自分の中でコツコツ仏語、ウォロフ語の勉強したり、わざわざ教習所行って頑張ってもセネガル人に伝わらないのでは意味がない。頭では分かっているけど、暫く涙が止まらなかった。私の努力ってなんだったんだろう。そしてここ(セネガル)にいる意味合いまで考えてしまった・・・・。

英国留学でイギリス英語に慣れるまで苦労したけど、中学から大学まできっちり英語の授業を受け、大学時代は英語ディベートサークル入ってある程度鍛えていたからそこまで語学の壁は感じていなかったけど、仏語もウォロフ語も初心者だからやっぱり身につくまでには時間がかかる。。。

この悔しさをバネにウォロフ語、仏語勉強の強化します!!!!

APE(PTA)会合、学校給食@Ngapp

APE(PTA)会合
6月15日、念願の保護者会合に参加してきた。使用言語がウォロフ語の為、12割くらいしか理解できていないのだが、学校の予算状況について説明している事(主に来年度の中学校入学する生徒増加が見込まれ、それに見合う教室が足りていない、校舎設立する費用がない等)、保護者会の目的が生徒の成績表配布などである事は流れからつかむことができたのでよしとする。

興味深かったのが、最初に成績表を生徒ではなく、親に開示するという事。日本の小学校は確か生徒に配布してから後で親に見せるという流のはず・・(少なくとも私の通っていた小学校はそうである)。おかげで生徒達が気になる様子で教室の周りに集まり、成績表が親に渡された瞬間、走って見に行く子供の様子は見ていて何だか微笑ましかった。

Ngappにある学校は本来小学校の校舎であるのだが、幼稚園、中学の校舎がないため、教室の一部を借りて使用している状況である。そのため、十分な教室がなく、来年度中学に入る生徒の数は増える一方なので、中学校の校長が教室確保できるか懸念している。(なので、よくJICAに頼んで校舎建設してほしいとお願いされるのである・・・。)中学校の校長の話によると、校舎建設にあたっては教育省が決めるらしく、県教育委員会にはその権限はないとの事。となると、いくら私の配属先であるリンゲール県教育委員会に話をもっていっても意味ないという事。難しい問題・・・。

この学校は小学校の校長も誠実かつしっかりしている人なので、先生もストライキする事なく授業も円滑に進んでいるし、学校運営においても問題ない様子。つまり、ボランティアが入る意味合いはそこまでなさそうなのだが、中学校校舎建設に関しては何か手伝える事があればなと思う。本当に熱心かつ良い校長先生なので。

Ngappの中学校と小学校の先生達 



保護者達 


小学校の校長が保護者に成績を渡す様子。
それを見に来る子供達


学校給食
JICAのプロジェクトでも学校給食は導入されていたが、Ngapp村ではWFP(国連世界食糧計画)の支援によってトウモロコシ等穀物が各学校に支給されている。

参考までにJICAの学校給食プロジェクト@セネガル

これは学校が家から遠い子供達のためにお腹を空かせて授業に集中できないという状況を避けるため、行われている。

ちなみにセネガルの小学校は月曜・水曜・金曜は8時~11時、30分休憩、11時半~13時まで、火曜・木曜は午後の部があり、15時~17時まで授業が行われている。今は暑い時期だからか、ダーラの市内・郊外小学校の授業は基本的にどの曜日も14時で終わる方針になっているとか。

にしても、14時まで朝食済ませてから何も食べられないというのはやはり子供にとってきついであろう。そういった状況でWFPの学校給食支援はかなり役立っているのではないかと思う。

トウモロコシを煮ている。この料理がウォロフ語で「Lunch?(Runch?)」というらしい。 


 このWFP(Canada)の袋にトウモロコシが入っている

 火を燃やす木を探す生徒と先生


トウモロコシを煮たものに玉葱がのっている、Lunch(Runch?)

 「Lunch?(Runch?)」を食べる子供達 

 このようにお皿に取り分けて生徒に配る

給食に群がる子供達

バイク試験@ルーガ

6月8日、2回目となるバイク試験に向けてMadameにご機嫌とり、事前に試験対策をし、セネガル服を着て挑んだが、結果はまたもや不合格。

今回は事前にルーガの教習所に通い、仏語での答え方を教えてもらったり、問題について解説してもらったりとできる限りの努力をしたつもりだったが、試験官には認めてもらえなかった。


ルーガでのバイク試験は口頭で行われる。つまり、仏語かウォロフ語ができないと「理解していない」とみなされる。今回は多少間違えた項目もあったが、5問中3問は確実に答えられたと自覚している。同様に、セネガル人ですらきちんと答えられていない問題も多数あったし、最後に質問をかなり受けていた女性は(なぜか最後に質問攻めにされる人は大抵受かるとみなされている・・・・)思いの外、回答を間違えていて、試験官にも「間違えているよ・・・・あはは」みたいな対応をされていたのに、結果は合格。本当に合格する基準が全く分からないまま試験終了。試験官が「なんか試験なのにクラスみたいだったね・・・あはは」みたいな感じで終わり、今回は誰が確実に受かったかも分からない状態で終わったのが納得いかず、全ての試験が終わるまで待つことにした。


しかし、結局、試験官に落ちた原因なのか聞いても「xamul dara!(おまえは何も知らない)」と言われ、しまいには「ウォロフ語で答えないとだめだよ」的な事まで言われ、理不尽かつ差別的な対応に相当落ち込んだ。仏語でも相当覚えるのに時間がかかるのに、更にウォロフ語でやれと言われたらもっと時間はかかる。それに教材は全て仏語なので全部ウォロフ語訳しなければならない。バイク乗るまでの道のりが長い・・・・。


中には「お金(賄賂)渡しちゃったら受かるよ」と言う人もいるのだけれど、これをしてしまうと後の隊員皆「ルーガの試験では賄賂を払わないと受からない」となってしまう可能性が高いし、自分的にもお金渡して合格!っていうのは何か嫌なので、ここは正当に合格するために頑張ろうと思う。にしても思った以上にショックを受けているというか、引きずっている自分がいる。


隊員生活は平等ではない。任地によって、生活環境、接するセネガル人の民族も違う。バイク試験を受ける州も違えば、やはり合格の基準も違ってくる。比較しても仕方がない事は十分承知しているけど、やっぱり1発合格できた隊員が羨ましく思う。

この苦労を糧に今度の試験は合格したい。


 教習所で働いているPapa
1回目の試験で落ちて悔しがる私に道路標示の解説資料をくれた。

Papaの子供、Babaka

 私に試験対策に協力してくれたPapaの弟、Badara


2回目の試験で落ちこむ私を支えてくれたネネ@先輩隊員宅