2012年2月26日日曜日

2年間の目標

今更ながらではあるが、この2年間の目標をここに記したいと思う。

●活動に関して

セネガルで2年間現地で活動を全うし、自分が任期を終え帰国してからも継続的に携われる活動・環境を作り出すこと。

要請内容にとらわれる事なく、現地の状況を把握して、自分のキャパシティを最大限発揮する。

ちなみに要請内容は以下に挙げられる。

・村落部小学校2~3校において、地域の人々と作る魅力ある学校づくりを目指して協力する。

1.前任者の活動を引き継ぎ、新設小学校への開校支援
2.女子児童の識字教育支援や住民に教育環境整備
3.学校運営委員会(CGE)とともに、児童、保護者、地域住民が関心をもつ学校づくりのための橋渡し、日本文化、環境問題、衛生教育や学校行事の紹介等


同任地の隊員は女性グループにレタスの栽培指導(野菜栽培)、小学校にて写真・カメラ指導(青少年活動)、図工等の授業、日本の学校との国際交流(小学校教諭)を行っている。要請内容からみてわかるように、活動内容は幅広い。その中でも最も関心があるのは、学校運営委員会(CGE)の学校運営のしくみ、また、地域住民、保護者と学校関係者との関わりや働きかけ方、児童の学習環境整備である。私の配属先であるリンゲール教育委員会で働いている人たちでも全員がどのようにCGEが活動しているのか知らない人は多い。最初の一歩として、現状把握すること、そのためにウォロフ語、仏語の強化は必要であり、伝達していく作業を行っていきたい。

活動における短期目標として

・日常会話におけるウォロフ語、フランス語のレベルを上げること
→ウォロフ語がある程度できるようになったらプラール語の勉強始める。(村に住んでいるプラール人はほとんどウォロフ語が話せないとのこと。村で活動するにはプラール語が必要!)
・学校関係者(先生、校長先生)、市役所、Boutique、地域住民とのネットワーク作り。
・一刻も早く住居環境整備すること
・自分を知ってもらうためにフランス語でのCV作成

※フランス語に関しては文献調査を行う上でも、論文執筆でも必要になってくるので、

・2012年5-7月までに DELF B1取得(ボランティア調整員として働く際に必要)
TOEIC950点以上 
・2013年1-2月までに DELF B2取得(フランス大学・大学院に入学する際に必要)
・帰国までに DELF C1取得(国際機関で働く際に必要)


●研究に関して

2年間滞在した分だけの研究成果が出せる、かつ定性・定量的手法を用いた研究ができること。

この2年間でPreliminary Researchは十分にできる。ただ、帰国前にフィールド調査を済ませ、帰国後に修論執筆するという形が1番理想的だけど、これは担当教官との相談も必要になってくるし、自分が今後就職もしくは博士過程に進むかでも変わってくる。JICA研究所のように働きながら研究するという形が1番理想的だが、狭き門かつ自分がどこまで専門性を身につけたいかで変わってくる。
今の段階で自分の進路に結論を出すことはやはり難しい。長ったらしくなったが、方向性としてはフィールド調査を終えて、帰国することを目指したい。

そのために、

1年目
・文献調査(セネガルの教育、研究動向)を定期的に行う
・セネガル全般の情報、データ収集
・SPSSのしくみの理解、統計分析できる能力をつける。

2年目
・研究する対象者、対象校決定
・活動の傍ら、質問票、インタビュー等の作成
・12月~1月 現地調査を行う。


●キャリア、インターン等に関して

修論執筆後の3か月間、セネガルの国際機関(教育分野)でのインターンの機会を獲得する。

私の大事な人のために2013年1月以降、約1ヶ月~半年の間でインターン(有給)のポストを見つけ出し、アプローチする!!

・JICA関係者(調整員、JICA専門家、職員)、政府系機関、UN機関、NGO、Peacecorp(アメリカのボランティア団体)とのネットワーク作り。
・JICA関係者からの情報収集、国際機関で働いている日本人とのコンタクト、Adeshinaの先生から現地で活動しているPeace corpのコンタクト情報収集
現段階で、私の任地であるダーラに一人Peace corpの人がいるとのことなので、まず最初のステップとしてPeace corpから情報収集することとする!

個人的な目標

・計画をきちんと立てられるようになること。
・予測して行動できるようになること。
・相手の気持ち、立場になって物事を考える思考を養うこと。
・相手への配慮をもっとする。
・まめになる(特にメール等に関して)。
・自己分析、より自分を客観的に見て考えられる力をつけること。
・家畜、農業を個人的に楽しめる程度の知識と技術を身につけること。
・一般常識、漢字の知識を蓄積する。
・腹筋を鍛える
・持久力をつける。

2012年2月14日火曜日

語学研修@Adeshina&ホームステイ

任地、ダーラに来てから5日たった。インターネットが使えなかったり、断水、停電が頻繁に起こる中でなかなか日本と同じ生活をすることは難しい。改めて水、電気の大切さを認識する。インターネットは私にとってもっと重要である。


さて、投稿しきれていなかった約3週間に渡る語学研修とホームステイについて振り返りたいと思う。


3週間に渡る語学研修は5日間仏語、残り約2週間は現地語であるウォロフ語の授業であった。セネガルは仏語が公用語であるけれども、地方ではほぼウォロフ語が使用されている。仏語を話す人は私の知っている限りだと学校関係者、国のお役人、上級階層の人であると思われる。


語学研修は朝8時~18時までというタイトなスケジュールであった。土曜は午前中12時半まで授業があり、休みは日曜だけである。2週間のウォロフ語の授業は本当にきつかった。日々新しい文法を学んでは、復習する時間がなかなか取れず、忘れてはまた新しいことを習うの繰り返してアウトプットが上手くできていなかったように思う。特に文法に関しては日本語、英語、仏語にないものがあったり、Pronom emphasise verb, Pronom emphasise objetと動詞や目的語をを強調するために使う代名詞が存在していたり、理解に苦しんだ。ウォロフ語はまだ発展段階ということもあり、同じ意味でも色んな言い方がある。これはもう任地で学んだいくしかないので、これから頑張っていこうと思う。








セネガル食。私の語学研修の中で楽しみにしていたものの一つ。上からチェブジェン、チェブヤップ、後は名前を忘れてしまったが、どれも美味しい。セネガルは野菜も肉も果物も美味しい。食には困らないが、あまり食べすぎると太りやすので要注意である。


Adeshinaでお世話になった方々、右からJohn, Bocar,Ouly,Mimuna

Adeshinaの校長先生、Mame Sylla


さて、ホームステイの感想はざっくり言うと至って「普通」である。

3 週間のホームステイでは楽しかったか、楽しくなかったかすら判断しかねる。(ひねくれた子供みたい笑)

ともあれ、比較的裕福な家庭(液晶テレビ、ドラム式洗濯機、パソコン3台、熱帯魚用のでっかい水槽がある)、家族8人+お手伝いさんと叔父のイスラム教徒の一家であったが、保守的(両親が従兄弟同士かつ子供は全員家から通える範囲で教育を受けている。)日本にも私にもあまり関心を示されなかったわりにはこの3週間頑張った方ではないかと自分では思う。

聞かれた質問といえば、「結婚しているのか?旦那がいるのか?」と「宗教はなんだ?」

イスラム教は最高だ!などと半ば次男から改宗させられそうになったが、とりあえず「家が仏教だから」、と話を流しておいた。


1番御世話になったのはもはやお手伝いさんであるNdayであり、私のセネガルでできた最初のセネガル人の友人である。彼女は仏語ができず、現地語であるウォロフ語しか話せないため、最初は簡単な仏語と身振り手振りの会話であった。最初、彼女の食事の準備を手伝っていると後からバンバン仕事を押し付けられたので、半ば強制的な感じに思っていたが、後からしょっちゅう私の名前を呼んでくれたり、気遣ってくれ、仲良くなった。ホームステイ先では家族と何かをするというよりは基本的にお手伝いさんの食事の手伝いをしていた。


この家は(イスラム教の一家)は食事の時間が比較的遅い。平日の夜は早くて20時半、遅くて21時半~22時。もはや食べてすぐ寝るというパターン。土日は、朝食が12時、昼食が14時過ぎから15時の間、夕食が平日同様である。3週目には大体この時間に慣れていたが、最初はこの食事のリズムに合わせるのがきつかった。


セネガル人、セネガル文化を知るに最初のとっかかりとしてホームステイは最適であるが、やはり3週間では難しい。しかも、こんな裕福な家庭は正直、珍しいので、これから日々、任地で質素な生活を楽しもうと思う。
ホームステイ先:Sow Family 左から Ami,Nday,Papaの親戚の子供、Mama,親戚の子供


どうも、私はセネガル人の名前を覚えるのが苦手です。早く覚えて慣れるよう努めます!