2012年2月14日火曜日

語学研修@Adeshina&ホームステイ

任地、ダーラに来てから5日たった。インターネットが使えなかったり、断水、停電が頻繁に起こる中でなかなか日本と同じ生活をすることは難しい。改めて水、電気の大切さを認識する。インターネットは私にとってもっと重要である。


さて、投稿しきれていなかった約3週間に渡る語学研修とホームステイについて振り返りたいと思う。


3週間に渡る語学研修は5日間仏語、残り約2週間は現地語であるウォロフ語の授業であった。セネガルは仏語が公用語であるけれども、地方ではほぼウォロフ語が使用されている。仏語を話す人は私の知っている限りだと学校関係者、国のお役人、上級階層の人であると思われる。


語学研修は朝8時~18時までというタイトなスケジュールであった。土曜は午前中12時半まで授業があり、休みは日曜だけである。2週間のウォロフ語の授業は本当にきつかった。日々新しい文法を学んでは、復習する時間がなかなか取れず、忘れてはまた新しいことを習うの繰り返してアウトプットが上手くできていなかったように思う。特に文法に関しては日本語、英語、仏語にないものがあったり、Pronom emphasise verb, Pronom emphasise objetと動詞や目的語をを強調するために使う代名詞が存在していたり、理解に苦しんだ。ウォロフ語はまだ発展段階ということもあり、同じ意味でも色んな言い方がある。これはもう任地で学んだいくしかないので、これから頑張っていこうと思う。








セネガル食。私の語学研修の中で楽しみにしていたものの一つ。上からチェブジェン、チェブヤップ、後は名前を忘れてしまったが、どれも美味しい。セネガルは野菜も肉も果物も美味しい。食には困らないが、あまり食べすぎると太りやすので要注意である。


Adeshinaでお世話になった方々、右からJohn, Bocar,Ouly,Mimuna

Adeshinaの校長先生、Mame Sylla


さて、ホームステイの感想はざっくり言うと至って「普通」である。

3 週間のホームステイでは楽しかったか、楽しくなかったかすら判断しかねる。(ひねくれた子供みたい笑)

ともあれ、比較的裕福な家庭(液晶テレビ、ドラム式洗濯機、パソコン3台、熱帯魚用のでっかい水槽がある)、家族8人+お手伝いさんと叔父のイスラム教徒の一家であったが、保守的(両親が従兄弟同士かつ子供は全員家から通える範囲で教育を受けている。)日本にも私にもあまり関心を示されなかったわりにはこの3週間頑張った方ではないかと自分では思う。

聞かれた質問といえば、「結婚しているのか?旦那がいるのか?」と「宗教はなんだ?」

イスラム教は最高だ!などと半ば次男から改宗させられそうになったが、とりあえず「家が仏教だから」、と話を流しておいた。


1番御世話になったのはもはやお手伝いさんであるNdayであり、私のセネガルでできた最初のセネガル人の友人である。彼女は仏語ができず、現地語であるウォロフ語しか話せないため、最初は簡単な仏語と身振り手振りの会話であった。最初、彼女の食事の準備を手伝っていると後からバンバン仕事を押し付けられたので、半ば強制的な感じに思っていたが、後からしょっちゅう私の名前を呼んでくれたり、気遣ってくれ、仲良くなった。ホームステイ先では家族と何かをするというよりは基本的にお手伝いさんの食事の手伝いをしていた。


この家は(イスラム教の一家)は食事の時間が比較的遅い。平日の夜は早くて20時半、遅くて21時半~22時。もはや食べてすぐ寝るというパターン。土日は、朝食が12時、昼食が14時過ぎから15時の間、夕食が平日同様である。3週目には大体この時間に慣れていたが、最初はこの食事のリズムに合わせるのがきつかった。


セネガル人、セネガル文化を知るに最初のとっかかりとしてホームステイは最適であるが、やはり3週間では難しい。しかも、こんな裕福な家庭は正直、珍しいので、これから日々、任地で質素な生活を楽しもうと思う。
ホームステイ先:Sow Family 左から Ami,Nday,Papaの親戚の子供、Mama,親戚の子供


どうも、私はセネガル人の名前を覚えるのが苦手です。早く覚えて慣れるよう努めます!

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