2012年3月23日金曜日

回復の兆し

急性喉頭炎だとばかり思っていた症状は実はインフルエンザだった。日本出国前に予防接種しなかったことを少しばかり後悔・・・・。しかし、だからといってこっちのウィルスにはかからないってことはないので、とりあえず、病名がきちんと分かってすっきり。

3月18日に急遽ダカール行きが決定し、19日にダカールの病院で受診し、薬局で4箱くらい薬を購入し、22日となった薬のおかげで今は熱もなく、喉と鼻の調子がだいぶ回復してきた。

3月20日まで帰国する先輩達(19名)がドミトリーにいて賑やかだった空間は一気に静寂な空間へと変わっていき、任地ダーラに帰りたい気持ちが増した反面、誰も気兼ねする事なく自由に過ごせるこの環境も悪くないかなと思い始めた今日この頃。

明日、ようやく任地ダーラに帰る。ダカールは海岸に近いため、夜も暑くて寝苦しいということはないのでかなり快適で安眠できる。この事が幸せかつ嬉しくて帰りたくないという気持ちが強くある反面、やはり一人は嫌なので、夜暑くて寝苦しい日々と戦おうと思う!

このダカールで過ごした5日間はかなりリフレッシュでき、そして改めて一人で落ち着いて考える時間を過ごすことができ、今後の活動、生活のためにもかなり重要な時間だったと思う。

ここにて、改めて気づいた事を記載したい。

1.知らない間、気づかない間にあらゆるストレスを抱えていた事、それに対して対応策を考える必要がある事

任地ダーラに赴任してから引越す予定のアパートの工事が終わっていない、電気の契約に1週間かかったり、水の契約は1ヶ月以上待たされ、いまだ水が使用できていない状況にある。いくら大屋さんや工事する人に「いつ終わるの?」「早くしてほしい!」と伝えても、「明日やる!インシャッラー(アッラーのが望み給う通り)」と言われ、信じて待つがしかし、明日になっても終わらないのがこっちの文化なのである。

私は予測ができない事に対してとてつもない不安とストレスを抱える傾向にあり、今回の住居の件に関しては上手くストレス発散できず、蓄積していったように感じる。

後、今は先輩隊員宅に御世話になっているのだが、その中で自分の環境を作っていくのが少し難しい状況にある。引越す事を見越しているため、自分の寝室があっても自分の部屋ではないという認識があったり、机があるわけでもなく、落ち着いて勉強できる環境ではないと感じる。加えて、度重なる断水・停電、インターネットの接続の悪さにイライラしてしまうなど、あらゆるストレスがここ2ヶ月で溜まっていったのである。

思えば、私は日本といた時のような生活をいまだ求めているのかもしれない。来る前は村落開発普及員だから屋根は藁みたいな家で水と電気な不安定な中暮らす事になるんだろうなと覚悟は決めていたつもりだが、現実はアパートでもはや日本に近い環境であった為に少しばかり利便性を求めてしまったのかもしれない。ダーラにいた時は割り切れなかったけど、今ダカールでの快適な生活を経て、やはりダーラで同じような生活を求めるのは無理である事がようやく自分の中で認識できたように思う。

また、このような生活もたった2年の貴重な経験!と思えばポジティブに捉えられる気がするし、今まで当たり前のように過ごしていた日本の生活に日々感謝し続けたい。

とりあえず、今はまた体調を崩さないように暑さとストレス対策をしっかりしようと思う。


2.JOCVとして派遣された同期がそれぞれ皆、言語、文化の壁にぶつかりながらも活動頑張っている姿にとても励まされた事

今までネット環境が良くなかったので、皆の動向をなかなか追う事ができなかったけど、ダカールに来てからそれぞれ派遣国で異なる環境で慣れるのに悪戦苦闘しながらも頑張っている様子が分かって、「こんなんでへこたれていては駄目だ!」と自分に活を入れられた。特に同じ職種でウガンダにいる愛知県出身の友人は家に電気も水もなく、1キロ先の水場まで水を汲みにいかなくてはならない状況。村落開発普及員でも、やはり任地が違うだけで生活環境は全く違うし、まして職種や任国が違うと状況は全く異なる。生活も活動も順調にいる人もいれば、生活でいっぱいいっぱい、その生活環境すら整っていない人もいる。これを単純に比較する事はできないし、辛さや困難も個々によって変わってくるから、自分は自分のペースでやっていこう!ってまた改めて思えた。

2年間、任地ダーラで過ごすことで大きく自分は成長することを信じてこれから頑張っていこうと思う。

※KTC23-3共有ブログをバングラデシュ、テニス隊員いもちゃんが作ってくれたので、ぜひご覧ください。
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3.理論と実践を行き来できる環境にいる事

任地ダーラにいた時は小学校を訪問していたけど、あまり身が入っていなかった。特に町の小学校はある程度物資(机・椅子・ノート・文房具等)は揃っているし、生徒も比較的先生の指示に従っているように思えて、ボランティアが入る意味合いがあるのか疑問だった。よく、教育開発の分野で研究テーマになるような就学できない子供達、学校環境の不備、教師の質が悪い等の問題は見えてきていなかった。

しかし、ダカールに来てから事務所で先輩隊員の報告書やドミトリーにある開発分野の本を読んでいるうちに、自分がいまだ問題意識を確立できていない、もしくは”問題”に巡り合っていない事、まだその段階まで達していないことが改めて分かった。ずっと現場にいると現状がだんだん当たり前になってきて、問題が”問題”として捉えられなかったりするけど、距離を置いて、環境を変えるだけで新たな視点や発見がある事が分かり、少しほっとした。

今まで、先が見据えれなくて一人で焦っていたけど、先輩隊員も苦しみながら”問題”を発見し、自分なりにアプローチしている事も分かったし、それを踏まえた上での活動、そして同時に大学院での研究も考えていけそうな気がした。

恵まれている事に、セネガルのドミトリーには大量の漫画、小説、開発分野の書物、言語学習用テキスト・参考書、料理本、創作本(折り紙、ビーズでアクセサリー等)、JICAの資料や先輩隊員が残していった活動マニュアル、共有用楽器(ピアニカ、ハーモニカ、リコーダー等)、ミシン・裁縫道具がある。また、JICA事務所に行けば、いつでも過去の隊員の報告書が読める環境がある。

現場の活動で軌道に乗らない時は書物に戻り、自分の研究に行き詰った時には現場に戻る事ができる。これは本当い良い環境だと思う。実践が7割くらい占めるだろうけど、上手くバランス取りながら活動と研究を行っていきたい。

ダカールにいる間に気力も体力も回復したので、ダーラに戻ったらまだ解決していない水問題に取りかかり、まずは生活環境整えたいと思う。

2012年3月21日水曜日

セネガルに来て2ヶ月経過・・・・・・

久しぶりのブログ更新。
活動や任地での生活について書きたい事は山ほどあるけど、ひとまず近況報告まで。

今、急性喉頭炎でダカールに上京中です。
先週火曜日から38度の熱が出て、それから37度台が続き、6日間休んでも一向に治る兆候が見られなかったので、任地の病院に行こうと思い、健康管理員の人に相談しました。

すると、私の任地ダーラには適切に対応できる医師がいないとのことで、一刻も早く治すにはダカールの病院で診察して処方してもらった方が早いとのことでした。

なので、3ヶ月ルール(基本的に任地に赴任してからは3ヶ月間は移動禁止とJICA側には決められている)にも関わらず今、ダカールに来ています。

月曜日に病院に行き、セネガル人の女医に診察してもらい、薬を飲み始めてからはだいぶ喉と鼻の調子が良くなりました。恐らく原因は引越し先のアパートを掃除していた時に大量の砂埃を吸い込んでしまったせいじゃないかなと思っています。(2回目掃除してからマスクしたのでは遅かった・・・・・)後、悪化した原因は気候の変化、炎天下の中外出、住居整備が上手くいっていない事へのストレス等が挙げられるのかなと思います。

この経験から「健康は大事」、「途上国での風邪はなかなか治らない」という事を改めて学びました。日本にいたら、風邪ひいても寝たら2‐3日で治っていたのに6日間も続くあげく治らないというのはやはり環境の違いかなと思います。

後、健康管理員の人に「早く任地に慣れる人もいれば、任地に慣れるのに時間がかかる人もいるし、体調が崩れる時期も人それぞれで最初に崩す人もいれば、中盤、帰国直前に倒れる人もいる。」と言われ、私はその言葉に救われました。自分では体調崩した事自体はあまり気に留めていなかったのですが、心の底では「今まで健康な方だと思っていたけど、実はそうでもなかったのかな・・・」と若干精神的に弱気になっていた事に気づき、励まされました。

任地での生活は断水がほぼ毎日(昼から夕方にかけて)、ネットの接続が良くない、引越しまでなかなかこぎつけられないとストレスフルな日々ですが、今はダカールでしっかり休養取りたいと思います。

今週日曜日(3月25日)には大統領選挙の決選投票が行われます。
金曜日には任地に戻るので、恐らく問題はないのですが、結果がどうなるかで今後のセネガル政情・治安が変わります!
とりあえず、国外退去する事なく、平和に終わりますように!Jamm rekk (ジャム・レック-平和)