2012年8月16日木曜日

Gabuga村訪問

長らくブログ更新しておらず、誠に申し訳ありません。雨季で停電が増え、インターネット環境が良くなかったり、体調不良になったりと、なかなか更新できずにいました。

85日、友人の母方の実家があるGabuga村に行ってきた。任地Dahraから約20㎞先にあり、電気も水もない村なので、水を確保するためには8㎞先の水場まで水を汲みに行かなければならない。家にはもちろん、トイレやシャワーを浴びる場所も確保されていないので、つまり人目のつかない場所を見つけなければならない・・・。

Gabuga村まではDahraから乗り合いバスが出ているので、今回そのバスで私達は村に向かった。そのバスと言われる車は日本でいうトラックにあたるもので、荷台に椅子があり、列が5列に一列6人掛けで座るので、計30人に加え、家畜だの、油だの、野菜だの色んな物を詰め込んだ状態で動くので左右に車が揺れる事が頻繁に起こる。非常に怖いので、もう二度と乗りたくないと思うくらい(でも、乗らないと帰れないので乗らざるをえない・・・)

イメージとしてはこんな感じ(※実際はこんなに人数も荷物もありませんが・・)

車が1日1便しか出ていないので、村での宿泊を覚悟して今回Gabuga村に行った。夕方から村に向かい、翌朝早朝にDahraに帰るという予定だったので、ラマダン中でも大丈夫かなと思いつつ不安を抱えながらの村訪問、宿泊だった。

雨季の影響もあってか、村の景色が緑一色で本当に眺めていて気持ちがよかった。Dahraは田舎といっても、商業都市にあたるので、多少栄えている反面、ゴミが多く町の風景としては汚い。




友人の母方の実家



任地Dahraのマルシェ(市場)付近の一部の様子

今回、Gabuga村に訪問した目的は①前から友人に一度電気もない、水もない村を見にきてほしいと言われていた事、②私自身、村人の生活の様子を見たいという気持ち、今後の活動の参考にしていきたいという事からラマダン中にも関わらず村宿泊に挑戦した。

結果的にGabuga村に行って本当によかったと思っている(次の日には右下腹が痛くなるという事態が起こったのだけれども笑)。というのも、今回、一緒に村訪問した友人と一晩話して彼女が普段思っている事や考え方が分かったし、色々深く話ができて本当によかった。彼女は中学生(15歳)にも関わらず本当に色んな事を知っている。父が医者でフランス、チェコ、ドイツ、アフリカ諸国等出張で行っていた影響を受けているからだと思うけど、アフリカの政治(ジンバブエのムガべ大統領の独裁政治etc)や民族(特にプラールとウォロフの違いについて)、言語(フランス語は西アフリカで使える、プラール語はプル族がナイジェリア、マリ、ブルキナ等西アフリカ諸国にいるため今後使える言語である事)について色々教えてくれた。そして、彼女はプル族であるため、実は普段ウォロフ族に対してウォロフ語を使うけど、基本的に使いたくない、だから私と話す時にウォロフ語では話したくないと言われた。なので、フランス語が使えるチャンスだと思い、頑張って使おうとするのだけど、やっぱり私の頭はウォロフで占められている事を痛感し、フランス語の勉強しよう、話す機会を設けようと心の中で誓った。

水のタンク
毎日水場まで行き、このタンクに水を溜めて使用している

後、今回のGabuga村訪問で私は単純に村や村人が好きなんだなと再確認できた(だからといって、文化人類学者みたいに調査のためではあっても長期間、村でホームステイができるとは思っていないのだけど)、今の職種を選んだ理由や今の道を歩む原点が鮮明になった気がした。がっつり教育系の職種(青少年活動や小学校教諭)ではなく、敢えて村落開発普及員の職種で教育委員会配属の要請を希望したのも町の学校ではなく、村落部の学校での活動(授業の質向上より、学校環境・学校運営に関心があった)を希望していたから。村への執着はきっと、英国留学時代に行ったモロッコの砂漠ツアーでの砂漠宿泊の経験、インドネシアのコトパンジャンダム調査(※)に同行していった村宿泊、訪問に起因していると思われる。

※2009年9月に初めて日本のODAによって建設されたインドネシアのコトパンジャンダムの裁判を知り、それ以降コトパンジャンダム被害者住民を支援する会の活動に関わらせてもらっている。2010年12月に裁判に向けての調査で事務局メンバーと弁護士さんの調査に同行させてもらった。

参考までにhttp://www.kotopan.jp/

結局、振り返ると色々と今まで経験してきたことって今に繋がっているんだなと思う。来たばかりの頃は言葉もままならないし、なかなか生活、セネガル人に慣れなくて日本に帰りたいとさえ思ってしまった時期もあったけど、半年経ってようやく生活も慣れてきて、セネガル人との信頼関係も構築できてきてここに来て心からよかったと思うし、今後の自分の進路においてセネガルでの2年間の経験は必ず活かせるという確信がもてた。

村に訪問する機会をくれた友人、Besoumには本当に感謝。10月から本格的に開始するアートマイルの壁画制作プロジェクトも一緒にやっていこうと思っている主要メンバーの1人なので、これからも御世話になるかと思う。彼女の今後に期待している。

 BesoumとKa一家


KhadyとHawa

 Besoumと朝食

 ミルクと小麦粉を混ぜたもの。名前を忘れてしまった。正直に美味しくはない

パキスタン産の米

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