2012年7月2日月曜日

セネガルに来てから約半年経過・・・・・・

7月11日でセネガルに来てちょうど半年が経つ。活動も生活もまだまだだけど、先を見据えられる(正しくは先を見据えようとする姿勢)くらいの心の余裕が出てきた。

活動も少しずつではあるけど、今の所3つ軸において考えているうち1つの活動(ジャパンアートマイルのプロジェクト)はなんとか形になりそうな見通しが立ってきている(問題や懸念は山積みだが・・・・。)今日本の学校に送るビデオ(セネガルの学校、文化、生活紹介)の制作を進めていて、作業がなかなか大変だけど、やりがいがあって面白い!

ただ、半年経った今、まだ2年後の就職活動や今後のキャリアに向けてどういう方向性で活動を含め繋げていくのか、具体的に逆算して考えきれていない。

確かに今の段階で完璧な計画を立てるのは難しいけど、活動をやっていく中で、自分のモチベーションを維持する上でも「現地の人のため」というだけでは正直継続していくのは私は難しい。

そして、何より、色々振り返ったり、周りと比較して思った事は24年間(もうすぐ25年間になる)生きてきて、学部時代に英国留学して、就活辞めて教授のアシスタントとして働きながら大学院浪人して、大学院入って、JOCVとしてセネガルに来て、本当に自分がやりたいと思う事を優先してやってきた。

ここまできて就職で自分が納得いかない結果を出せない、出したくないという想いが最近強くなってきたと同時に自分でも気づかない所で多少の焦りを感じているんだなと思う。

今でも、就職氷河期と言われる時期に留学帰国者用でもある夏採用で就職決まっていたら今セネガルにいないんだろうなとふと思うし、普通に働いて結婚したいという気持ちは無きにしも非ず笑。

でも、今ある自分が自分であるわけで、今歩んでいる人生も自分で決めたものであって誰のものでもない。

そう思うと、これからの人生をどう切り開いていくかも結局自分次第なので、これから自身と向きあいながら2年後の進路、今後のキャリア、研究含め考えていきたい。

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上記に書いたものは本当に思うがままに書いてしまったけど、ここで書きたかった事は自分が赴任当初ぶつかった困難、辛さから半年間どうやって乗り越えてきたかという事。(こういう事は定期的に纏めておかないとすぐ忘れるし、いざES書く時に書けないため)

赴任当初、ぶつかった困難、辛かった事といえば、やはり住居整備に2ヶ月以上かかった事。

日本からセネガルに赴任して1ヶ月後は体も考え方もまだ日本にいた時の感覚のままで、何で電気と水の契約に1ヶ月以上もかかるのか、書類提出するだけなのに不備が出てきて次の日に持越しになるのか、網戸と鉄格子を明日設置してくれるって言ったのに次の日、約束の時間に来ないとか理解できず、ストレスが溜まっていた。

どうやって乗り越えてきたかというと、
①ほぼ毎日、大家さんの事務所に行き、直接話をするようにした(先輩隊員宅から事務所が近かったので、電話代を節約したかったという理由もあった笑)→頻繁に事務所に足を運んだ事で職員と話すようになり、少しずつ彼らの価値観の違いや文化について理解できるようになり、結果的には仲良くなった。

②待ち合わせの時間に来なかった時、次回会った時には必ず連絡先を聞くようにした→よって事前に予定を確認できるようになったし、相手に約束をこぎつけたり、来るように促したりできるようになった。

③同任地の先輩隊員、同期、日本にいる家族・友人等に話を聞いてもらい、気持ちの切り替えをするようにした。

④会話で必要とされるウォロフ語の単語をメモし、意図的に使用してい→これで少しずつ単語力がつく。

結論、コミュニケーションが大事。とは言っても赴任当初、仏語もウォロフ語もままならない状態でのコミュニケーションって自分の言いたい事も上手く伝わらないし、相手の言っている事もよく分からない。相手側も自分のウォロフ語が拙いから聞く耳持たなかったりするし、それで猶更ストレス、自己嫌悪に陥る。でも、そこで立ち止まっていては成長しないのだけれど、当初の自分は本当に物事を前向きに捉えたり、ポジティブに気持ちを切り替えて行動に移すまで随分と時間がかかったし、3月末にはインフルエンザにはなるし、本当に辛かった。

半年経って、セネガル人の事が分かってきて、自分なりに対応の仕方も掴めてきて、少しずつ信頼関係が構築できてきた。これはまだ客観的に見える「成果」までにはこぎつけられないけど、半年経った中で活動と生活の土台作りができたという意味では自分の中で「成果」とみなしてよいと思う。

隊員生活は誰にも何も言われないから国の税金使って2年間遊ぼうと思えば遊べてしまう。でも、それは2年間JOCVとしてここで過ごす意味合いも、今後の進路にも何も繋がってこないと自覚しているし、自分が納得いく2年間を過ごし、自分のやってきた活動にも自信が持てるようになるためにも定期的に振り返り、纏める作業、計画を立てる事を怠らずにやっていきたい。そういう地道な努力が結果的には自分の目指すもの、やりたいと思える仕事に就けると信じているし、最終的には自信に繋がるのだと思う。


現在活動している中学校4Fの生徒、Ba一家との写真。生活紹介で一家の様子をビデオ撮らせてもらった。お父さんが医者でフランス、オランダ、チェコ、アフリカ諸国にも行った事があり、日本に関してかなりの知識(日本の歴史、侍、福島の原発問題、本州、日本の技術発展等)をもっていたので、話を聞いていて楽しかった。そして、プル族の良さも再確認できてよかった(ちなみに私も一応セネ名がAwa SOWでプル族なのである) 

※名字がSOW、BA、KAはプル族

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